“Entrance to Japanology” 暖簾 中むら代表 中村新が伝える、暖簾(のれん)とその背景にある日本文化の魅力 前編

 

大正12年創業、悉皆屋(しっかいや)として東京・神田で長年の間、着物の染めや洗い張り、誂(あつら)え等を請け負ってきた有限会社中むら。そしてその中むらで、現代の悉皆屋として新たな挑戦を始めたのが四代目である中村新さんです。

悉皆屋とは、着物の誂えやメンテナンスを取り仕切る職人のコーディネーターの様な仕事のこと。現在の中むらは「暖簾(のれん)」を専門として、藍染めや引き染めなどの伝統技法から現代の技法まで、日本各地の様々な手仕事をコーディネートし、多様な「暖簾」を製作・プロデュースしています。

「暖簾」の製作のみに止まらず、地域性を活かした企画や、紋などのグラフィックデザイン、設置方法の提案も行い、作るところから使うところまでを一貫して提案しています。また、「暖簾」事業を通じて得たノウハウを活かし、伝統産業や手工業の作り手の販路設計や商品開発も行っています。

そんな伝統的でありながら革新的である有限会社中むらの代表を務める中村さんは、2020年に意を決してコーポレートサイトの大幅なリニューアルを実施。その新しいコーポレートサイトをエードットグループの一員である株式会社BIRDMAN(バードマン)※が手がけさせていただきました。

「暖簾」を知ることが、日本文化を知ることへのきっかけにもなると語る中村さん。今回のエードットジャーナルでは、伝統産業や手工業の作り手と使い手との新たな関係性をつくることを目標に掲げ、日々活動されている中村さんにインタビューを行いました。中村さんと「暖簾」との出会いや、学ぶ中で気づいた「暖簾」そのものや背景にある日本文化の魅力などについて語っていただいています。ぜひ、最後までご覧ください。

※このインタビューは2020年10月に行われたものです。株式会社BIRDMANは2021年1月1日の吸収合併により株式会社エードットとなりました。(https://ssl4.eir-parts.net/doc/7063/tdnet/1891126/00.pdf

 

中村 新(なかむら しん)
1986年東京生まれ。有限会社中むら代表取締役。1923年に東京・神田で創業し2006年まで着物の染めや洗い張り、誂えなどを請負っていた家業の悉皆屋の4代目に就任し、2013年より暖簾(のれん)事業を開始。暖簾をつくるディレクター・プロデューサーとして活躍。「コレド室町」や「とらや 東京ミッドタウン店」などの暖簾を製作している。

 

暖簾(のれん)を通して伝える、日本のものづくりの素晴らしさ

 

-中村さんの普段のお仕事内容についてお聞かせください。

中村新さん(以下、中村):端的に言えば僕の仕事は「暖簾をつくること」ですが、僕自身が職人として「暖簾」を染めているのではなく、日本の職人さんやクリエイターさんたちを巻き込んで一緒に「暖簾」を製作しています。事業領域としては、「暖簾」の企画段階からご相談に乗ったり、自社でデザインを考えたりと、企画・製作から納品までを一貫してご提供しています。

 

-いつから今の「暖簾」のお仕事をされているんですか?

中村:もともと有限会社中むらは、大正12年から東京の神田で悉皆屋(しっかいや)という、いわゆる呉服のメンテナンス業を行う会社でしたが、20年以上前に一度廃業してしまいました。そこからはずっと屋号だけが残っている状態だったのですが、今から7年ほど前に、中むらを再稼働させて「暖簾」事業を始めたんです。僕はもともと「家業を継ぐ」という発想は全くなかったので、それまで商社に勤めていました。ただ、その時扱っていたのがエネルギーで、あまり手触り感のない商材だったんです。一方で、地域の事業者さんとお仕事をするうちに「血の通ったコミュニケーション」に興味を持つようになり、何か自分でものづくりに携わる事業を立ち上げたいという思いがどんどん強まっていった結果、7年前に起業し、今の「暖簾」事業を始めました。

 

-なるほど。もともと家業を継ぐ気はなかったので、全く違うお仕事をされていたんですね。

中村:そうですね。呉服は工程が多岐に渡っているので、メンテナンスや誂(あつら)えにおいてその全体を取り仕切る役割のことを悉皆屋(しっかいや)と呼んでいるんです。なので「取り仕切る」という文脈で言えば、様々な職人さんやクリエイターさんを巻き込みながら「暖簾」をつくっているというのは、悉皆屋に似ている部分なのかもしれませんね。

 

-「ものづくりに携わる事業がしたい」という思いで起業されたとおっしゃっていましたが、その中でなぜ「暖簾」を選ばれたのでしょう?

中村:様々なものづくりがあると思いますが、その中でも僕は手工業や工芸といった、土着でアナログなものづくりに興味がありました。さらに、そのようなものづくりが社会とのコミュニケーションに苦戦していることも課題として感じていたので、ここの部分で何か自分にできることはないかな…とずっと考えていたんです。そんな漠然とした思いだけで前職を離れてしまい、今後の事業について日々模索しているタイミングで、ご縁のあった風呂敷を手掛ける企業の廃業に伴い「暖簾」の一部案件を引き継ぐことになりました。それが今から7年ほど前の話です。

 

-そのご縁をきっかけに、「暖簾」のお仕事をスタートされたんですか?

中村:はい。そしてちょうどその時期に、三井不動産さんが「コレド室町2・3」の開業に伴い「暖簾」の施策を検討されていたため、大きなお仕事のご相談を頂きました。そこで初めて、日本文化に携わっているクリエイター・家紋のデザイナー・職人さんたちを巻き込み、計5施設の「暖簾」と家紋を製作したんです。日本橋に掲出した「暖簾」は、たいへん嬉しいことに皆様からご好評をいただきました。さらにそのお仕事で「暖簾」の面白さに気づき、「暖簾」に注力していくことを決意する良いきっかけとなりました。

 

コレド室町に飾られた「暖簾」。

 

-なるほど。先にプロジェクトがあって、そこに参加した結果、「暖簾」の面白さに気づくことができた、という順番なんですね。

中村:正直「暖簾がめちゃくちゃ好きだから暖簾を仕事にしたい!」というスタートではなくて(笑)もともとは、日本のものづくりの現場にいる「自分からの発信が苦手な人たち」の代わりに、ビジネスを生み出したり、コミュニケーションを生み出したりしたいというモチベーションからスタートしているんです。そして、その中で自分の主戦場を「暖簾」に決めたという感じです。

 

-実際、伝統工芸などのものづくりの事業では廃業が増えているのでしょうか。

中村:残念ながら廃業は多いですし、コロナ禍の影響も受けています。新型コロナウイルスによる大打撃や後継者不足などで「廃業するか否か」で悩んでいた企業さんの決断が早まったというのが実状です。厳しい環境下ではありますが、その中でも「もっと色んなことにチャレンジしてみたい」と思っているつくり手さんたちとは、ぜひ一緒に手を取り合っていきたいですね。

 

-うーん、それでもやはり日本の大事な文化やクリエイティブがなくなってしまうのは悲しいですよね…。

中村:そうですよね。なかなか自分たちの足元って目を向けにくくて、その良さにも気付きにくいんだと思います。でも日本は世界的に見ても歴史が長く、自国の文化をちゃんと持っている国なので、その価値や尊さはこれからのグローバル社会においてもより一層価値の出る物ではないかと思いますね。

 

-中村さんの視線は、グローバルに向けられている?

中村:両方ですね。日本にいる人にとって、僕の「暖簾」が新しい気づきになれたら嬉しいですし、海外にいる方へは「暖簾」を通じて日本の文化を伝えられたら良いかなと思います。

 

 

暖簾(のれん)を知れば、日本の文化がわかる。中村さんが思う、暖簾の面白さとは

 

-「暖簾」について、ご説明お願いします。

中村:今の世の中では屋外広告的なニュアンスが強いですが、様々な日本独自の文化によって「暖簾」は成り立っているんです。「暖簾」の成り立ちからお話すると、最初は「塵を避ける布」から始まっていて、そこから「部屋を区切る仕切り」へと発展。その後、室町時代には「文字の読めない人へのサイン」としての機能を持ち、江戸時代には商売が盛んになった日本橋で多くの店が「暖簾」を店先に出したことで、「屋外広告」としての機能が確立したという歴史があります。その後は江戸時代から現代に至るまで、「暖簾」の形はあまり変化することなく伝わっていて、言い換えればそこでアップデートが止まってしまっているんです。

 

-今見ている「暖簾」の形は、江戸時代の姿のままなんですね…!

中村:はい。今はサインとしての色が強いですが、建築的な目線で見ると非常に日本的でユニークな境界といえます。例えばヨーロッパは「石の文化」なので、遮断し、変わらないことが特徴ですが、一方日本は「木や紙や布の文化」なので、曖昧で、変わっていくことが特徴です。このように西欧と比較してみると、日本の「暖簾」文化はたいへんユニークなものに見えてくると思います。

 

-なるほど、違う国の文化と比較すると面白いですね。

中村:「暖簾」を知れば、日本の文化についてもかなり知ることができるのではないでしょうか。日本の面白いところって、他国の文化を遮断せずにどんどん取り入れていき、柔軟性高く自分たちの中でローカライズしながら、自国と他国の文化の2つを同居させてきた点だと思います。例えば文字を書こうとしたら、ひらがなカタカナ漢字が入り混じっていますよね。外から来たものを遮断しない価値観って、すごく日本らしくて良い部分だなと僕は思っていて、その意味でも「行き来ができる境界」である「暖簾」は日本文化の特徴を、色濃く映し出している存在だと思います。

 

-ちなみに、先ほどアップデートという言葉がでてきましたが…「暖簾」をアップデートさせたい、といった考えもあるのでしょうか?

中村:そうですね。アップデートというと大袈裟なんですけど(笑)最新のテクノロジーを使って新しい形に進化させることだけがアップデートではなく、原点に立ち返ることでもアップデートは発生しているのではないかと考えています。その取り組みとして、今では当たり前になった「暖簾」という文化を改めて紐解き、その面白さを世の中に発信していくという作業をしているんです。今後もサインとしての機能的な部分だけでなく、背景にある文化について伝えていきたいと思っています。

 

後編に続く▶︎https://birdman.tokyo/journal/design/entrance-to-japanology-nakamura-second/

 

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